ちょっと残酷だけど、読んでほしい話 

 

 

 

 

 

 

あのな。

 

 

 

 

 

 

 

これから、ちょっと残酷な話をしたい。

 

 

 

 

わたしが体験した、わたしの感情の、あるプロセスの話。

 

 

 

プロセスの内容は残酷だけど、さいご、すんごく自分の納得のいく自分なりの答えが出せたから、それを話します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログでも、何度か書いてるけど、

 

 

 

比喩ではなく物理的に、

 

 

わたしは一日中、胸からみぞおちのあたりまで、何かに握りつぶされてるような感覚があるの。

 

 

ただただ不快。

 

 

怖くて、焦って、さみしくて、超ネガティブになったときに、

 

 

一層、グゥゥゥゥと抑圧される感じがある。

 

 

 

いつからあるのかは、わからない。

 

 

もうずーーーーーっと。

 

 

まぁ、今、あるのよ。

 

 

 

でね、

 

 

 

不快だからさ、

 

 

 

なんとか、この子(握りしめられてる苦痛)を、取り除きたいわけ。

 

 

なんとかして、追い出したいわけ。

 

 

 

とにかくとにかく、ネットで自分みたいな症状の人がいないか探した。

 

 

何か、答えがあると思って。

 

 

自律神経失調症

「心臓病」

離人症

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・」

 

 

 

で、いろいろやった。

 

 

氣で癒してもらった。

 

 

鍼をしてもらった。

 

 

精神科医の人に見てもらった。

 

 

もう本当に苦しすぎて、何度も自分の胸をたたいた。

 

 

しめつけられてるところを、何度もたたいて、

 

 

何度もめいいっぱい手を押し付けて、

 

 

なんとか、なんとか、追い出したかった。

 

 

楽になりたかった。

 

 

でも、、、、、

 

 

 

ね、、、、、。

 

 

 

 

 

 

全然、なくならない。

 

 

 

むしろ、拡大していく、、、。

 

 

 

追い出そうとすると、必死でしがみついてくる。

 

 

追い出そうとすると、余計に焦って混乱して、ベッドに頭をたたきつけたりも。

 

 

 

 

 

 

この胸の抑圧のせいで、

 

わたしはいろいろなものが怖くて、自分のしたいことに踏み出せないんだ。

 

この胸の抑圧のせいで、

 

わたしは、嫌われるのを恐れて、人に本音が言えないんだ。

 

この胸の抑圧のせいで、、、

 

この胸の抑圧のせいで、、、

 

この抑圧が、、、

 

 

あんたなんか、いなくなればいい。

 

 

ってね。

 

 

 

もう、。

 

 

どうしたらいいんかわからなくなる。

 

 

 

どうしたらいいんかわからないことに焦って、

 

 

 

心が握りつぶされていく。

 

 

 

どんどん、破壊されていく。

 

 

 

ほんと、

 

 

 

ヒステリックになって、

 

ここに存在することへの恐怖心というか

 

 

自分の行く場所行く場所(考える先、考える先)に、鋭い針が待ち構えられているような状態になった。

 

 

 

 

このとき、わたしは、この子との付き合い方を知らなかった。

 

 

この子を一方的に否定して、拒否って、ムチでたたいてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうこうしなくて、構わない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを知ったのは、2か月前のこと。

 

 

 

 

わたしは、ある人に、この子との新しい付き合い方を教えてもらったの。

 

 

 

 

その人に、この胸の抑圧感を訴えた。

 

すると、その人がこう言った。

 

 

 

「“どうこうしなくて構わない”って言ってみて」。

 

 

 

ギョッ...。ギョギョ。

 

 

 

言ってみたよ。

 

 

 

どうこうしなくて構わない...

 

 

 

 

するとね、

 

 

 

 

 

フシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァって。

 

 

 

 

身体の力が

 

 

 

フシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァって

 

 

 

ゆるんだんだよ。

 

 

 

ハァーーーーーー(*'▽')。って一瞬なったよ。

 

 

 

すんごい、すんごい、すんごい心地いい時間が一瞬だけど、流れたの。

 

 

 

そう。

 

 

 

どうこうしたかったんだよ。

 

 

 

 

ネガティブな感情が、ひしめきあって生まれてるのが、この胸の抑圧だなーって

 

 

観察してるんだけど、

 

 

そのネガティブな感情を感じると、イヤッ!!!!!!ってなってたんだよ。

 

 

それがあると、

 

 

理想の、自分ではない「何者か」になることが妨害されるからね。

 

 

 

合理的に、効率的に、生きられないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、それは、、、しんどいよ。

 

 

 

不安を押し込めちゃうと、「こわい」を押し込めちゃうと、なんとしてでも這い上がってこようとするから、よりパワフルになるんだよ( ;∀;)

 

 

そう。

 

 

感情ちゃんたちは、

 

 

ただ味わっちゃえばいい。

 

 

それをしに、地球に生まれてきたようなもんだもん。

 

 

 

 

ひたすら味わってあげるとね、

 

 

 

不安なのに、安心する。

 

 

 

これが正解の状態なのか分からないけど、

 

 

 

不安なのに、心地よくなってくる。

 

 

 

あぁ、自分、「こわい」を味わいたいんだなって。

 

 

今のそのまんまの自分を認めてあげられるようになる。

 

 

まるごとね。

 

 

 

 

 で、

 

 

 

これからが、

 

 

 

ちょっと残酷な話だけど、聞いてほしい話。

 

 

 

 

それが、ある日の私が体験すると決めて体験しきった話。

 

 

 

 

 

ある日、

 

 

 

わたしは、胸の抑圧に嘆いていた。

 

 

 

圧迫され圧迫され、

 

 

常に、息苦しい。

 

 

 

やめてやめてやめてやめて、

 

 

やめてよ。

 

 

もう苦しめないで。

 

 

とおもってたんだけど、

 

 

 

ちょっと、その子のことを観察した。

 

 

 

どうも、何かが渦巻いている。

 

 

 

何か、黒いどろどろとしたものが、渦巻いている。

 

 

もっと観察していくと。

 

 

 

ある感情が沸き上がってきた。

 

 

 

「憎しみ」。

 

 

 

 

 

 

 

わたし、

 

 

 

 

人を殺したくなるときが短期間に何度もあった。

 

 

 

 

包丁を持ったときも、

 

 

 

もしかしたら、、、と

 

 

 

いろんな憎しみが押し寄せてくる。

 

 

 

大きなうねりが、私をのみこんだ。

 

 

 

でもさ、

 

 

 

そんなのダメじゃん。

 

 

いや、

 

ダメじゃん。

 

 

人を殺しちゃうとか。

 

 

もう、人間としてアウトだよ。

 

 

で、

 

 

押し殺してた。

 

 

 

 でもね、

 

 

 

 

憎しみに気づいた夜、

 

 

 

わたしは、自分の憎しみを許したの。

 

 

 

わたしのイマジネーションの世界のなかで。

 

 

 

最大限、そのとき、わたしがわたしのためにできること。

 

 

それが、

 

 

 

 

イマジネーションの中で、憎しみを表現させてあげること。

 

 

そう。

 

 

しっかりと、包丁を使って。

 

 

 

何本も使って。

 

 

 

ただひたすらに、

 

 

 

自分の憎しみに身を任せた。

 

 

 

何人も、

 

 

何人も、

 

 

何人も、

 

 

思い浮かんでは、

 

 

 

 

 

刺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

するとね、

 

 

 

人の顔が浮かばなくなってきた。

 

 

 

 

 

でも、

 

 

 

憎しみの渦は、消えないまま。

 

 

 

 

あれ?

 

 

 

なんで消えないんだろう。そう思ってる矢先、

 

 

 

ハッとした。

 

 

 

 

そう。

 

 

 

私が一番憎しみを抱いていたヤツが、すぐそばにいた。

 

 

 

 

 

 

わたし自身。

 

 

 

 

わたしは、わたしを、殺したかった。息の根を止めてやりたかった。

 

 

 

その気持ちも許した。

 

 

 

身を任せた。

 

 

 

 

でもね、

 

 

 

 

自分が一番憎かった。

 

 

 

それに気づいてしまったとき、

 

 

 

 

これでもか、というくらい、涙が出てきた。

 

 

 

息も上がって、まともに息ができないくらい。声を荒げて。

 

 

 

 

 

このプロセスは二度あった。

 

 

 

 

 

二度目は、

 

 

 

 

抑え込んでいた、他人に対する罵倒の言葉の数々。

 

とことん、他人の悪口をパソコンに打ち込んだ。

 

 

あんまり、言ってこなかったんだよ。わたし。。

 

 

「はるかは、他人の悪口言わないから、つまらない」って言われたぐらい。

 

 

思春期もとくになかった。

 

 

 

ね。

 

 

抑え込んでたんだよ。

 

 

身をゆだねたら、

 

 

どんどこあふれ出てきた。

 

 

誰に対してでもなくても、きったねー言葉の数々。

 

 

 

するとこのときもね、

 

 

 

矢の矛先が、

 

 

 

最終的に、自分に向いていたことに気が付いた。

 

 

罵倒したかった相手が自分自身だった。

 

 

他人を通して、

 

 

自分に言ってたんだよ。

 

 

 

 

 

 

おまえなんか、いなくなってしまえ。

 

 

 

 

 

 

って。

 

 

 

 

こうやって自分に憎しみを抱くなったようになった原因はもはやわからない。

 

 

過去のことだから、掘り返してもしかたない。

 

 

 

だけど、

 

 

ほんと、そんな原因なんてどうでもよかった。

 

 

 

 

だって、

 

 

 

自分が憎たらしかったって気づいたとき、

 

 

わたしは、涙をながした。

 

 

 

 

その涙の先にあるものは?

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

 

 

「自分を愛したい」

 

 

 

 

という切実な願い。

 

 

 

 

 

 

 

 

うん。

 

 

 

 

 

じゅうぶん、

 

 

 

 

愛してた。

 

 

 

 

自分のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しずつ、あらわになっていく、

 

 

 

わたしの、心の、おもちゃ箱。

 

 

 

 

 

 

 

 

このプロセスを経た今も、

 

 

 

わたしの胸の抑圧感は消えない。

 

 

 

 

やっぱり今でも、なんとか解放されたいって思う。

 

 

 

でもさ、

 

 

このプロセス。

 

 

このプロセスを味わえたんだよ。

 

 

 

それが、もうギフトだよなー。

 

 

そう思う。

 

 

 

でさ、

 

 

 

 

「人を殺すのはなぜいけないの?」

 

 

 

ってはびこる問いに、

 

 

 

自分の体験から答えてあげられる、

 

 

 

1つの道具を手に入れた気もする。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、

 

 

 

このプロセスを見て、

 

 

単純に、

 

 

 

「うつじゃん。きちがいじゃん。やばいよ、何かの病気だよ」

 

 

 

って思われそうで、怖いけど、

 

 

 

しょうがない。

 

 

 

これが、

 

 

 

そのとき表現した「わたし」という存在。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このプロセスを通して、

 

 

「自分への憎しみ」に気が付いた。

 

 

気がついたら、

 

 

あとは変わっていくのみ。

 

 

どうなってくかな。

 

 

 

どきどき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ながーーーーーーい、言葉の旅。

 

 

 

そろそろ、しめくくろうかしら。

 

 

 

 

フゥゥゥゥ。

 

 

 

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