文学の楽しみ方

 

 

 

美輪明宏さんがさ、

「文化」に触れよう、それが心の栄養になる。

って話をしてくれているから、わたしさっそく有名な日本文学を3冊そろえてみました。

 

 

 

f:id:Haruka12:20210112194352j:plain

 

 

 

手に持っているのが、まず読み始めているもの。

遠藤周作さんの『沈黙』。

これは、学生時代の担任が進めてくれたもの。

正直、遠藤周作さんのことは「うっすら、名前を聞いたことあるような…でも、それは有名だよ、って言われたからかも...」というレベルで、存じ上げなかった方でございます。担任にも「ええええええ、有名だよ!?」と私の無知さに驚かれたので、きっと、この記事を読んでくださる方の中にも、私の文学への疎さを感じていただけると思います。

 

あとの2冊、夏目漱石さん(夏目漱石に「さん」を付けると、あ、彼も人間だったのかって少々違和感を感じる)の『坊っちゃん』と梶井基次郎さんの『檸檬』。これは、とあるサイトでオススメされていたから、わぁじゃあ読んでみようと思いました。

 

 

漱石さんの『吾輩は猫である』も読んだことない。

1ページ目だけ、ざらーーーっと目を通したことがあるくらい。

 

 

美輪さんが文学に触れることをおすすめしてくれている理由として、

自分の引き出しが増えること、そして、綺麗な言葉を学べる、ということがあるなぁと思う。

 

そう。

美しい日本語。

表現方法。

その時代の知恵。

その時代の情勢。

 

 

単なるフィクションとして、物語を楽しむ以外にも、

生きている中で、活きてくる、楽しめる要素が読書にはいろいろあるんですねぇ。

 

 

 

そういえば、以前おすすめ本の記事を書いたときに、

「小説はあまり読まない」と書いたことがありました。

 

 

なんだか、読まないんだよねぇ…と感覚的だったものが、少し言語化できるようになりましたよ!!

 

それが、

 

 

小説を読んでも、知的欲求が満たされない。

 

 

ということ。

ここでいう「知的欲求」というのは、言語学的な知識などではなく、

おそらく…哲学…?いや、哲学的要素はふんだんにあるよなぁ...。

 

なんというんだろう。

 

言葉にしてみると、矛盾が見えてきちゃった…。

 

 

こう。うん。物語によるけれども、現実とかけ離れたようなもの、、、?は、極端に言えば刺激のない無駄な時間、のような感覚になってたんだなと思う。

 

 

 

まあ、さっきから矛盾があふれてるのからもわかる通り、

言葉遣いであったり、時代背景であったり、著者の人生哲学、恋愛哲学、○○哲学、、、、、学びの要素はたんまりとあるわけですね。

 

 

それをあんまり意識せずに、ただただ物語を読むという視点しかなかったから、私自身は小説を楽しめていなかったんだと思います。

 

物語の「面白さ」以外にも、小説を楽しめる要素があるということですね。

 

 

その点、

今読み始めた『沈黙』は、1600年代前後の長崎におけるキリスト教弾圧の実態を、フィクションではあるが、感じられる、学べる一冊ではあります。

 

 

 

 

 

特別文字に起こすようなことではないんですが、

 

 

最近

わたし、他人とよく話せるようになってきたんです。

 

 

今まで、といっても2か月ほど前?までは、他人に対して愛想はよくても、会話が続かない、という悩みを持ち合わせておりまして、、、。

何を話せばいいのか分からない、という問題意識があったんです。

 

会話を続けなくても、

面白い話を語らなくても、

良いのですが、

 

最近、他人と話せるのが、そう、楽しいんですよね。

 

 

 

それは、日に日に、引き出しが増えているから。

 

 

 

おそらく、コロナ自粛が始まった2020年の4月ごろから一種の変化が私の中でありました。自粛にともない、仕事内容が変化して休みを多く取れたんですね。

そのときに、自分の「好き」が鮮明に見えたりして、それに飛びついて、「一生、離さへんーーーーあんたーーーー、好きやーーーー」という状態になる時間がありました。

その「好き」のお相手の一人が、シンガーソングライターのあいみょんなのであります。

 

あいみょんについては、二つくらい記事が書けそうなので、好きになった経緯などはまたおいおい話したいですね。

 

 

なので、「好き」を追及する時間が、それまでの人生の中で頂点に達して、

波はあるものの、ネットサーフィンをしながら「好き」を追いかける時間が増えました。

 

その過程で、なんせたくさんの情報や知恵、作品に出合い、

他人に伝えたいものに、たくさん出会っていったんです。

 

なんせ、InstagramFacebookTwitterを始めたのはおっきいなぁぁ!

 

アプリを開けば、電子的であれ、刺激がどっさりありますからね。

(目から脳へと伝わる刺激なので、肉体的な経験が付随してないのは、少々さみしいですが。さみしいし、生きていくうえで、人として、ホモサピエンスとして、「体験」するって本当に段違いに大切だよね。百聞は一見にしかず。うん。だって、体験したものはより鮮明に自分なりの言葉で、感じたことをたくさん伝えたくなるものでもあるし!)

 

 

そんな日々を過ごすようになり、

同時に、受け取ったものを自分の中で反芻する時間も増え、

人と意見を交わすのが、より楽しくなったんですよねぇ。

 

 

 

 

 

なぜ、この話に派生したんでしたっけ。。。。(笑)

 

 

 

 

あ、そうそう、最近、よく話すようになったって話でした。

 

 

そう、なので、

 

文学を読むことで、他人と豊かな会話ができる、1つの術を身に着けられるのかぁとも思ったわけであります。

 

そのアウトプットを念頭に置くと、

小説を読む時間の意識の在り様がまるで変ってくるわけですね。

 

 

それは、だれかとの会話に限らず、このブログもそうですね。

 

 

『沈黙』を読み始めたことを、

サラッと報告しようと書き始めたのが、

だらだらと色んな話に分岐していって、

これだから、ブログを書くのは面白いのです。

というより、ブログを書く面白みを、こういうところに私は感じるのであります。

 

 

 

なので、冒頭に紹介した3冊も、

 

どこかで、アウトプットする際の楽しみとして、

読書したいなと思いまして、

 

 

また、このブログでも、お話しさせていただこうと思うのであります(⌒∇⌒)

 

 

 

 

 

 

さてさて。

 

 

今回は、この辺りで、おしまい!

 

 

 

 

みなさまも、豊かなコミュニケーションツールの1つとして、

近代文学や古典、

物語への面白みのみならず、

言葉や巧みな表現方法、時代背景を感じる時間として、

読書をたしなまれては?(⌒∇⌒)

 

 

 

ではでは。

 

 

さようなら!